
2025年7月8日
東京科学大学と東京大学の研究チームが、半導体技術の歴史に新たな一ページを刻んだ。室温(約300K)を遥かに超える530K(摂氏257度)という驚異的なキュリー温度を持つ強磁性半導体を開発。これは、長年「夢の技術」とされてきたスピントロニクスの実用化を、一気に現実へと引き寄せる歴史的快挙だ。このブレークスルーは、私たちの手にするスマートフォンやPCの未来をどう塗り替えるのだろうか。
2025年4月24日、学術誌 「Applied Physics Letters」 に掲載された一本の論文が、世界の半導体研究者を震撼させた。東京科学大学のPham Nam Hai教授と東京大学の田中雅明教授を中心とする研究チームが、強磁性半導体「(Ga,Fe)Sb(ガリウム・鉄・アンチモン)」において、世界最高記録となる530K(257℃)のキュリー温度を達成したと発表したのだ。
キュリー温度とは、物質が磁石としての性質(強磁性)を失う限界温度のこと。この温度が室温より低いと、常温環境ではただの半導体としてしか機能しない。そのため、室温で安定して動作する強磁性半導体の開発は、スピントロニクス分野における究極の目標とも言える最重要課題だった。事実、2005年に米国科学誌 Science が創刊125周年を記念して発表した「未解決の125の科学的問題」の一つにも、「室温以上で動作可能な強磁性半導体は作製可能か?」という問いが含まれている。
今回の成果は、この20年来の宿願に対する、日本の研究チームからの明確な回答と言えるだろう。従来記録の420K(147℃)を100K以上も更新したこの数字は、単なる記録更新ではない。次世代のメモリやコンピューティング技術の実現に向けた、大きな扉を開いたのである。
そもそもスピントロニクスとは何か。現在のエレクトロニクス(電子工学)が電子の「電荷(プラス・マイナス)」を利用するのに対し、スピントロニクスは電子が持つもう一つの性質「スピン(磁気の向き)」を積極的に活用する技術だ。スピンは不揮発性、つまり電源を切っても情報を保持できる特性を持つ。これを半導体に組み込むことができれば、高速動作、超低消費電力、そしてデータ保持に電力不要な不揮発性を兼ね備えた、まさに夢のようなデバイスが実現する。
しかし、その道は険しかった。2000年代から研究が盛んになったマンガン(Mn)を添加した「(Ga,Mn)As」などの従来材料は、キュリー温度が最高でも200K(-73℃)程度と極めて低く、実用化には液体窒素による冷却が不可欠だった。
そこでPham教授らは、マンガンの代わりに鉄(Fe)を、ガリウムヒ素(GaAs)ではなくバンドギャップの狭いアンチモン化ガリウム(GaSb)に添加するアプローチに着目した。この「(Ga,Fe)Sb」は高いキュリー温度を示す可能性を秘めていたが、大きな壁が立ちはだかった。
それは「結晶性の維持」という問題だ。高品質な半導体を作るには、原子が寸分の狂いもなく規則正しく並んだ「単結晶」構造が不可欠だ。しかし、鉄の濃度を高めて磁力を強くしようとすると、この結晶構造が崩れてしまい、半導体としての性能が劣化してしまう。水に砂糖を溶かす際に、一定量を超えると溶けきれずに濁ってしまう現象に似ている。このジレンマが、キュリー温度を420Kで頭打ちにさせていたのだ。
この長年の膠着状態を打破したのが、研究チームが採用した「ステップフロー成長法」という独創的な結晶成長技術だ。これは、半導体結晶を成長させる土台となる基板に、意図的に微小な「傾き」を持たせる手法である。
研究チームは、ベースとなるGaAs(001)基板を、あえて10度という比較的大きな角度で傾けてカットした「オフ基板」を用意した。この基板の表面には、原子レベルの非常に微細な階段構造(ステップ)が、等間隔でびっしりと形成される。
この階段状の基板上に、低温分子線エピタキシー法(MBE)を用いて(Ga,Fe)Sbの原子を振りかけると、原子はテラス(階段の踊り場)を長く漂うことなく、すぐにステップの端に到達し、そこに吸着して整列していく。まるで、原子が滑り台を規則正しく滑り降りて整列するように、結晶成長が進行するのだ。
この手法により、従来法では困難だった24%という極めて高い鉄濃度でも、結晶構造の乱れを劇的に抑制することに成功。その結果、キュリー温度を前人未到の530Kまで引き上げるという、驚異的なブレークスルーを達成したのである。
この新材料の品質の高さは、他のデータからも裏付けられている。
さらに、このサンプルを大気中に1.5年間放置した後でも、キュリー温度は470Kを維持しており、実用化に不可欠な長期安定性も示された。
この研究成果は、学術的な新記録にとどまらない。私たちのデジタルライフを支える半導体デバイスの未来を大きく変える可能性を秘めている。
スピントロニクス技術を応用した代表的なデバイスが、次世代メモリ「MRAM(磁気抵抗メモリ)」だ。今回の(Ga,Fe)Sbのような高性能な強磁性半導体は、このMRAMをさらに進化させる鍵となる。
「我々の成果は、室温動作と互換性のある高キュリー温度の強磁性半導体が製造可能であることを示しており、スピントロニクスデバイスの実現に向けた重要な一歩です」と、Pham教授は語る。
さらに未来を見据えれば、電子のスピンは「0」と「1」だけでなく、その両方を同時に表現できる「重ね合わせ」状態を利用する量子コンピューティングの基本素子(量子ビット)としても期待されている。室温で安定してスピンを制御できる半導体の登場は、この分野の研究開発を加速させる可能性も秘めている。
今回の研究は、原子レベルで物質を精密に制御する日本の「ものづくり」の真骨頂が、基礎科学の最前線で結実した輝かしい成果だ。一つの「壁」を打ち破ったこの一歩が、半導体産業のロードマップを塗り替え、より持続可能で高性能な情報化社会への道を拓いていくに違いない。
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参考文献
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Y Kobayashi
XenoSpectrum管理人。中学生の時にWindows95を使っていたくらいの年齢。大学では物理を専攻していたこともあり、物理・宇宙関係の話題が得意だが、テクノロジー関係の話題も大好き。最近は半導体関連に特に興味あり、色々と情報を集めている。2児の父であり、健康や教育の話題も最近は収集中。
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