
『ぴあ』はチケット販売へ、『ロッキング・オン』はフェスへ。情報の価値が下がる中、2誌は現在、体験を提供する事業に主軸を移している。一方、生成AIの登場によって情報や表現を生み出す側にも大きな変化が起きている。プロの技能さえAIに民主化される時代に、個人の発信はどう変わるのか。『ロッキング・オン』の創刊メンバーで評論家の橘川幸夫氏が語る「一人一人が編集部を持つ」時代とは、どのようなものなのか。
──1990年代後半からネットが普及し、情報の価値が下がりました。メディアのビジネスモデルはどのように変わりましたか。
橘川 インターネットの登場は、音楽誌に強い影響を与えました。情報はアーティスト側から直接発信されるようになったからです。音楽そのものも、CDからデジタル配信へと移行しました。雑誌の主要な収入源だった広告費も減少し、情報と広告というビジネスの柱が打撃を受けたのです。
こうした変化を受け、『ロッキング・オン』は2000年にフェス事業へ乗り出しました。一方、『ぴあ』はそれより早く1984年にチケット販売事業に参入し、すでに大きな事業に育てていました。
──『ぴあ』創業者の矢内廣氏と『ロッキング・オン』創業者の渋谷陽一氏の先見性は、どこにあったのですか。
橘川 情報誌『ぴあ』を生んだ矢内さんは、紙の雑誌からネットワークへの転換を早くから意識していました。1979年には、郵政省と電電公社(現NTT)が開発した、電話回線を使って情報を提供する「キャプテンシステム」の実験に参加しています。そこで蓄積したノウハウと公演情報を結びつけ、「チケットぴあ」のシステムを構築しました。
渋谷は、情報を届けるだけでは雑誌の価値を維持できないと考え、情報の先にある「体験」を提供する場としてフェスに目を付けました。
渋谷自身はフェスの限界も冷静に見ていました。会場という物理的な制約があり、リアルな体験を一度に届けられる人数には限度があると考えていました。2025年に亡くなる前、彼は「ロッキング・オンはIT会社になる」と語っていました。リアルな体験をデジタルへ広げる構想だったのだと思います。
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1950年東京生まれ。学生時代より音楽雑誌『ロッキング・オン』の創刊に関わり、1972年より編集室長。1978年に、全面投稿雑誌『ポンプ』を創刊し編集長を務める。その後、さまざまな参加型メディアの開発と運営を行う。2024年にコミュニティ生成型雑誌『イコール』を創刊し、編集長を務める。著作に『企画書』(JICC出版局、現・宝島社)、『メディアが何をしたか?』(ロッキング・オン)、『一応族の反乱』(日本経済新聞社)、『21世紀企画書』(晶文社)、『インターネットは儲からない!』(日経BP社)、『暇つぶしの時代』(平凡社)、『やきそばパンの逆襲』(河出書房新社)、『ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。』(バジリコ)、『森を見る力』(晶文社)、『ロッキング・オンの時代』(晶文社)、『参加型社会宣言』(メタ・ブレーン)、『ChatGPTとの深い付き合い方』(バジリコ)、『生成AI人格 シビルの講義』(メタ・ブレーン)など。
1950年東京生まれ。学生時代より音楽雑誌『ロッキング・オン』の創刊に関わり、1972年より編集室長。1978年に、全面投稿雑誌『ポンプ』を創刊し編集長を務める。その後、さまざまな参加型メディアの開発と運営を行う。2024年にコミュニティ生成型雑誌『イコール』を創刊し、編集長を務める。著作に『企画書』(JICC出版局、現・宝島社)、『メディアが何をしたか?』(ロッキング・オン)、『一応族の反乱』(日本経済新聞社)、『21世紀企画書』(晶文社)、『インターネットは儲からない!』(日経BP社)、『暇つぶしの時代』(平凡社)、『やきそばパンの逆襲』(河出書房新社)、『ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。』(バジリコ)、『森を見る力』(晶文社)、『ロッキング・オンの時代』(晶文社)、『参加型社会宣言』(メタ・ブレーン)、『ChatGPTとの深い付き合い方』(バジリコ)、『生成AI人格 シビルの講義』(メタ・ブレーン)など。