2026.03.04
キリングループは長年培った発酵・バイオテクノロジーを武器に、未病領域で革新的な挑戦を続けている。免疫の司令塔である「樹状細胞」を直接活性化し、ウイルス感染防御の司令塔を動かす「プラズマ乳酸菌」や、最先端の腸内細菌解析による個別化ケア、さらに電流で味覚を制御し生活習慣病を防ぐデバイスまで。研究開発を牽引するキリンホールディングス・ヘルスサイエンス研究所の村島弘一郎所長に、同社の戦略について聞いた。
―ヘルスサイエンス研究のビジョンと戦略を教えてください。
キリングループは生物資源の確保や高齢化社会、感染症リスク、現在の治療技術では十分に対応できない医療ニーズである「アンメット・メディカル・ニーズ」など多様な社会課題の解決に向けて、研究を推進しています。特に高齢化が進む社会においては「健康寿命の延伸」が重要な研究課題であり、人々が健康を維持できるよう支援することが私たちのビジョンです。
ヘルスサイエンス研究所では、科学に基づいて人々の「健康の土台作り」に貢献するという信念の下、キリングループが長年培ってきた発酵・バイオテクノロジーによって開発された食品素材の機能性研究に取り組んでいます。
―中でも免疫の分野で成果をあげていますね。
免疫機能は加齢とともに低下し、感染症や慢性炎症、生活習慣病にも関係しており、まさに「健康の土台」の一つと言えるでしょう。キリンが長年の研究を通じて2010年に発見した「L. lactis strain Plasma(プラズマ乳酸菌)」による免疫活性化作用の解明には、当研究所の前所長でキリンホールディングス常務執行役員の藤原大介氏が大きく貢献しました。
プラズマ乳酸菌は、ウイルスや細菌に感染した際に免疫システム全体の「司令塔」となるpDC(プラズマサイトイド樹状細胞)を活性化する役割を持っています。藤原氏が研究を開始した時代にはpDCに働きかける乳酸菌は存在しないというのが研究者の共通認識でした。同氏を中心としたキリンの研究チームは、この常識を覆し、プラズマ乳酸菌がpDCを強力に活性化させることを世界で初めて発見したのです。
乳酸菌はビールの醸造過程において長年「悪者(汚染菌)」として扱われてきましたが、藤原氏は社内の常識にとらわれず、重要な可能性を秘めた乳酸菌であると判断し、見過ごしませんでした。
―プラズマ乳酸菌による免疫維持サポートの科学的根拠は何でしょうか。
プラズマ乳酸菌の特徴は、pDCに直接働きかけ、免疫システム全体を活性化させる点にあります。約20件の臨床試験で有効性が確認されて論文が提出されています。食品業界としては非常に多い論文数です。これら一連の科学的根拠に基づき、2020年に初めて「健康な人の免疫機能の維持をサポートする機能性表示食品」として国内で届け出が受理されました。23年には免疫研究に新たな道筋をつけ、日本の科学技術振興に貢献したとして恩賜発明賞を受賞しました。
―食品は医薬品と違い、効果を体感するのに限界があるという声もあります。
医薬品が病気の治療を目的とするのに対し、プラズマ乳酸菌を使った飲料など機能性食品は健康の維持を重視しています。しかし、健康な人が健康であり続けることを実感するのは簡単ではありません。病気の治療であれば完治や症状の改善といった効果を体感できますが、病気に罹(かか)らずに済んでいるという、いわば何も起こらないことや目に見えないことを感じるのは難しいものです。
同様に、これらの効果を科学的に証明することも困難です。サイエンスとしての証明には、大規模かつ長期的な研究と厳密なデータ分析が不可欠だからです。ヘルスサイエンス研究所では、この難しい課題に対し、臨床試験や疫学調査を粘り強く実施し、科学的根拠を積み上げてきました。
加えて、体感が難しいからこそ可視化が重要であると考えます。「免疫」は目にも見えず変化を感じることも難しいですが、免疫の司令塔のpDCの活性と免疫指標の尿中IgAに相関があることを世界で初めて発見しました。尿中IgAのように、日常生活の中で、健康診断の尿検査など簡易的に測定できる生体指標を用いた「免疫を見える化」する独自サービスの開発を進めています。
―高齢化の中で健康寿命を延ばすには、何が必要だとお考えですか。
「健康の土台」を維持し続けることが重要です。その視点から免疫機能だけでなく、認知機能、腸機能、循環器機能の研究にも注力しています。健康の土台には個人差があるという認識の下で「個別化」をキーワードとした新たな取り組みも始めています。
例えば個人の腸内環境は千差万別であり、食品成分の影響も人によって差が大きいことが知られています 。キリンでは、腸内細菌の網羅解析手法である「ショットガンメタゲノム解析」を用いた測定サービスを通じ、体質や生活環境に応じたオーダーメードの健康支援を目指しています。
また、血管老化に関わる遺伝的な要因を日本人集団で探索し一塩基多型(DNAの塩基配列が1箇所だけ別の塩基に置き換わっていることで生じる個人差)が関連することを発見し報告しました。この発見は、一塩基多型の検査をすることで血管老化を早く見つける手掛かりとなることや、パーソナルな健康ケアや栄養サポートの発展につながる可能性を示します。
―国や大学などのアカデミアとの連携について教えてください。
私たちのビジョンは社会課題の解決であり、国との連携も積極的に行っています。現在、国立感染症研究所と共同でプラズマ乳酸菌の医薬品化を検討しています。プラズマ乳酸菌の経鼻接種で新型コロナウイルスおよびインフルエンザウイルスに対する増殖抑制効果を実験で確認しました。この取り組みは日本医療研究開発機構(AMED)の先進的研究開発戦略センター(SCARDA)による「ワクチン・新規モダリティ研究開発事業」に採択され、実用化に向けた研究を進めています。
アカデミアとも老化に関わる基盤的な共同研究を実施しています。東京大学とは、ヒトiPS細胞由来の小腸オルガノイドを用いて「腸の老化」に関する研究を行っています。老化した小腸の特徴を再現したモデルを構築して、機能性素材「ヒトミルクオリゴ糖(HMO)」の作用を評価しました。結果、HMOがプレバイオティクス(腸内の善玉菌のエサ)に役立つだけでなく、小腸に直接働きかけて細胞の再生・修復を促進する可能性が確認できました。もしこの有用性が実現すれば、高齢者の栄養吸収能力や腸管免疫機能の維持など、多様な健康効果が期待できます。
北里大学とは、ヒトiPS細胞由来の内耳オルガノイドを活用し、加齢性難聴の治療という医薬品に近く、私たち食品分野では珍しい領域にも挑戦しています。機能性素材によって内耳の細胞損傷を修復・保護したいと取り組んでいます。
―食品関連のデバイス開発も展開されていますね。
生活習慣病の予防も長寿社会には重要です。特に高血圧と密接に関わる塩分摂取量のコントロールは世界的な課題であるため、味覚サイエンスを活用した減塩サポート食器「エレキソルト」シリーズとしてスプーンやカップを展開しています。微弱な電流を流すことで塩味やうま味を増強させる画期的なデバイスで、薄味でも満足感を得られるようにします。味そのものを変えるのではなく味覚に介入することで、無理なく減塩習慣へ行動変容を促す新しい健康支援策です。「減塩料理は味気ない」という医療現場の患者さんの声をすくい上げて生まれました。
―今後、どのような研究や商品開発を手がけていくのでしょうか。
私たちの研究は、単なる疾患の予防だけでなく「人生100年時代」を豊かに生きるための基盤を築くことを目指しています。日常の飲料や食品を「おいしくて健康にいいもの」に変えるだけでも、生活は少しずつ変わります。機能性素材の提供だけでなく、おいしさや手軽さといった「継続」のための要素を科学の力で組み込み、消費者が自発的に健康的な選択をするきっかけを作りたいと考えています。
どんなに優れた技術も、消費者のもとに届けられなければ価値はありません。キリンは2023年にオーストラリアの健康食品メーカー、ブラックモアズを買収し、24年にはファンケルを完全子会社化しました。ブラックモアズやファンケルが持つアジア太平洋地域での強いブランド力や販売網、現地規制への知見と、キリンの研究開発力などを組み合わせることで、各国のニーズに即した高付加価値商品の展開を加速させ、グローバルに健康価値を迅速に届けることを目指します。
健康で長寿な人を世界中に増やすことがキリングループの使命であり、ヘルスサイエンス研究所は科学と健康をつなぐ橋渡し役として挑戦を続けます。
村島弘一郎
キリン・ヘルスサイエンス研究所所長
1969年秋田県生まれ。94年京都大学大学院農学研究科を修了し、同年明治製菓(現Meiji Seikaファルマ)に入社。2000年〜02年に米カリフォルニア大学デービス校へ留学。帰国後、明治製菓で工業酵素、医薬品、機能性食品素材の研究開発に従事。20年H.U.グループホールディングス入社。H.U.グループ中央研究所所長を務め、臨床検査の研究開発を統括。24年にキリンホールディングスに入社、25年3月より現職。ヘルスサイエンス領域の研究開発を統括。
関連リンク
読み物
日々明らかになる研究成果やできごとなどを分かりやすく報じます。
科学技術の動きや社会との関わりを、さまざまな切り口で紹介します。
身近な題材から最先端まで、科学や技術の面白さを動画で届けます。
特集
SNS・RSS
最新のおすすめ科学情報や
更新情報をお届けします
Follow us
SNSをフォローすれば、
最新のおすすめ科学情報をお届けします
Facebook
X
ページトップへ
科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」
ジャンルから探す
科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」
