【人生100年社会 支える科学3】AI予測と地域医療を融合した予防の社会実装 熊本県荒尾市長 浅田敏彦さん – Science Portal


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2026.03.11
近藤英次 / サイエンスライター
 地方都市が直面する「超高齢化」と「人口減少」。この課題に最先端の情報通信技術(ICT)とデータサイエンスを駆使して「市民の健康と幸福」を最大化しようとする自治体がある。熊本県荒尾市だ。同市が進める「ウェルビーイングスマートシティ」構想は、単なる行政効率化のためのデジタル導入ではない。バイタルデータ(生体情報)の継続的蓄積、人工知能(AI)による疾病リスク予測、産学官そして医が一体となった社会実装。デジタルヘルスケアと地域医療をどう結びつけ、健康長寿の未来を築くのか。浅田敏彦市長に戦略を聞いた。
—健康長寿社会の実現のために掲げた「ウェルビーイングスマートシティ」とは、具体的にどのような都市像を指すのでしょうか。
 目指すのは内閣府が提唱する超スマート社会「Society(ソサエティー) 5.0」の理念を具現化した「人間中心」のまちづくりです。従来のスマートシティの議論は交通渋滞の解消といった「都市インフラの効率化」に力点が置かれてきました。荒尾市の構想はその一歩先を見据えています。テクノロジーを導入すること自体が目的ではありません。技術によって市民一人ひとりの心身の健康、そして主観的な幸福感である「ウェルビーイング」をいかに向上させるか、という点に主眼を置いています。
 人口減少と少子高齢化は自治体の体力を奪い、行政の経営資源やサービスの低下を招くことが懸念されています。そのような環境においても、市民の皆様の生活を今よりも便利で、快適に、そして幸せを実感いただきたい。私たちの目標は、テクノロジーを使いこなし「暮らしたいまち日本一」を実感できる都市の構築です。
―なぜこれほどまでにデジタル技術を活用したヘルスケアが必要だったのでしょうか。背景にある地域課題を教えてください。
 現在、市の高齢化率(65歳以上人口の割合)は36%を超えています。特に深刻なのは、市民一人あたりの医療費が熊本県内でもワーストクラスであるという点です。生活習慣病の重症化、地域医療の逼迫、そして現役世代と高齢世代間の健康格差の現状を踏まえると、従来の財政基盤に頼った「一律定型」の行政サービスは限界にきています。このままでは地域の持続可能性が損なわれるという強い危機感がありました。
 これを打破するのが、「デジタルヘルスケア」の戦略的導入です。最大のメリットは「行政の経営資源の最適化」と「予防の個別化」です。 保健師など専門職の人材リソースが限られる中で、データに基づき病気になる可能性が高いハイリスク層を把握して重点的に行政が介入する。
 病気になってからの「治療」するモデルから、病気になる前の「予防」へと社会の軸足を移す。これにより健康寿命を延ばし、高齢になっても社会参画や就労を継続できる環境を整えます。地域全体の活力を維持し、次世代に負担を先送りしないための、科学的根拠に基づいた「まちづくり」のステップです。
―具体的な健康検査の手法や、収集されたデータの活用基盤(プラットフォーム)について説明をお願いします。
 私たちが提唱しているのは、市民が自らの健康を管理する、あるいは家族など大切な人の健康を守る「自助と共助による疾病予防・健康行動促進」という概念です。従来の健康診断は単にデータでした。年に一度、医療機関に足を運んで測定するだけでは、自分の体の状態を捉えることはできません。
 健診結果「糖尿病の基準値であるHbA1cが7.0で高めなので気を付けましょう」と示されても、どれほど自分の体が良くない状態なのかが分かる人は多くないと思います。そこで市では、スマートウォッチなどのウェアラブルデバイスとも連携し、体重や歩数、血圧などのバイタルデータを日常生活の中で記録することができる「デジタル健康手帳」というスマートフォンアプリを市民に無償で提供しています。
 「デジタル健康手帳」は、マイナポータルと連携することができ、過去の健診結果や、処方薬の履歴(電子薬歴)などもデータとして蓄積することができます。特徴は、「自分自身の身体の取扱説明書」を手にするような体験ができることです。個人の健診結果に応じた説明動画を見ることができますし、最大のポイントは将来の病気の発症リスクをAIが予測するサービスです。
 AIが「現在の生活を続けた場合、4年以内に急性心筋梗塞を発症するリスクが同性・同世代と比較して3.1倍」などと、具体的に体の状況を分かりやすく教えてくれます。さらに、そのリスクを低減するための具体的な行動、例えば「お酒を飲む回数や量を減らす」といった推奨行動も提案してくれます。
―市民向けサービスで特徴的なものはありますか。
 生活習慣の改善に取り組めなかったり続かなかったりという市民向けに提供しているサービスがNECグループのフォーネスライフ社との連携による「血中タンパク質解析」です。特に技術的に優れている点は、少量の血液成分から約7000種類のタンパク質解析(プロテオミクス)をして、AIを用いて「4年以内の心筋梗塞・脳卒中の発症確率」や「将来の認知機能低下リスク」などを予測する先端検査「フォーネスビジュアス検査」です。
 客観的な数値による「未来の自分」の提示は、行動変容につながる動機付けとなります。これらの統計データを匿名化した上で解析し、より効果的な保健事業や新サービスを開発する企業の誘致など地域産業の創出にも繋げる。私たちが目指す「データ駆動型社会(Data-Driven Society)」の姿です。
―フォーネスビジュアス検査はどのくらい発症リスク管理に効果があったのでしょうか。
 2022年度から開始したフォーネスビジュアス検査は、これまでに累計で481人が検査を受けられています。受診者全員に市が介入プログラムを提供したり、年間を通してコンシェルジュ(保健師)との面談をしたりしました。23年度に検査を受けた市民129人(検査時点の平均年齢は65.5歳)に1年後に同じ検査を実施したところ「20年以内の認知症発症」、「4年以内の循環器疾患」、「5年以内の肺がん」等の疾病リスクが「改善した」または「現状維持できている」人たちが半数近くに達して一定の成果がありました。
 心血管疾病、慢性腎臓病、認知症、がんなど検査の対象となる疾患は加齢により罹患率が上昇します。疾患の発症リスクと年齢は大きく関係しますので、「現状維持」はリスクが上がらずにいるということで評価と捉えています。
—高度なシステムを地域に定着させるには、産学官、そして地域医療との高度な連携が不可欠と思います。各組織の役割を教えて下さい。
 行政にはないノウハウやソリューションを地域内外の民間企業や学術研究機関の知見を借りながら、市民のためになるかどうかを判断しながら政策や施策を実行していくのが私たちの基本姿勢です。そのためには行政が地域の課題を本質的に理解している必要があります。私は職員に、現場の目線で物事を捉え、市民や地域・関係団体の皆さまとの対話を通じて地域課題を共有し「荒尾市の未来はどうあるべきか」を徹底的に議論しながら、意欲的にチャレンジするよう指示しています。
 ヘルスケアのプロジェクトで「市民に生活習慣の改善に取り組んでもらえない、長続きしない」という課題に対してはNECソリューションイノベータに解決策の提案をいただいています。同社のエンジニアが「地域活性化起業人」という役割で市役所に常駐。保健師らとともに現場を見て課題を共有することで、より適切な改善提案につながっています。
 また熊本大学は、科学的エビデンス(証拠)を担保する極めて重要な役割を担っています。収集されたビッグデータが医学的・統計学的に何を意味するのかを分析。例えば「認知症や急性心筋梗塞の発症リスクとメタボリックシンドローム判定の相関」といったアルゴリズムの信頼性は、同大学との共同研究によって担保されています。市役所は、これらのプレイヤー同士や市民・市内事業所をつなぐプラットフォーム(ハブ)としても機能します。
 AIが「肺がんリスクが高い」と判定しただけでは、市民をむやみに不安にしてしまいます。ここでカギとなるのが地元、荒尾市医師会との強固な連携です。市では、市民の同意を前提に、個人の健康や身体の記録であるPHR(パーソナルヘルスレコード)のデータを地域のクリニックやかかりつけ医と共有できる仕組みを構築しています。テクノロジーによる予測と本人の気付きを、専門医による診断と治療にシームレスに繋げる。この「地域医療の最前線」との融合こそが、地域課題を本質的に解決するための生命線です。
―実際に、地域の医師や診療所にはどのような変化が起きているのでしょうか。
 デジタル健康手帳は荒尾市医師会と一緒に開発した「あらお健康手帳」という紙の手帳をデジタル化したものです。患者の手帳に記録された数カ月分の血圧推移、歩数、食事内容を確認したり、医師が手帳に気になることをコメントして医療機関同士で情報を共有したりすることで診察にも役立つそうです。保健師や管理栄養士も手帳のデータに基づき、一人ひとりに最適化されたアドバイスをすることができます。
 医師会からは「健康手帳は単なるITツールではなく、市民の命を守るための強力な社会的インフラだ」との評価をいただいています。市民、企業、大学、医師会と、行政が「ウェルビーイング」という目的を共有し、現場での相互理解を積み重ねてきた結果だと自負しています。
―こうしたヘルスケアへの投資は自治体の財政には大きな負担になります。
 市民にとって重要なヘルスケアへの投資は不可欠です。ただ厳しい財政状況の自治体には柔軟な契約形態が求められます。荒尾市では事業者の成果に応じて対価を支払う成果連動型民間委託契約(PFS、Pay For Success)の導入を検討しています。疾病の発症リスク低下や、実際の発症率低下など成果を求めて、それに連動して報酬が発生する仕組みにしたいと思っています。行政として市民の健康に結びつく投資をしたいというのが狙いです。
―地域活性化のために今後、科学技術をどう活用したいか聞かせてください。
 荒尾市が挑んでいるのは、技術そのものの新しさを競うことではありません。技術が「どれだけ人の心を動かし、暮らしに寄り添えるか」という視点です。AIやPHRといったツールは、市民が「自分らしく、健康で、社会とのつながりを持って生きる」ために活用されるべきものです。私たちは科学技術を、単なる「地域の衰退を止めるための守り」ではなく、「新しい時代の豊かさを創り出すための攻め」として使いこなしたいと考えています。
 荒尾市の挑戦は長寿社会の課題を技術で解決する「社会実装の壮大な実験場」です。モデルケースとして全国に広げたい。「百年先も、笑顔で暮らせるまちへ」。この実現に向け、一歩ずつ、確実に地歩を固めていきます。
成果連動型民間委託契約(PFS: Pay For Success)
 PFSは成果連動型で依頼者(荒尾市)があらかじめ設定した数値目標(KPI)の達成度合いに応じて、事業者(今回はシステム全体を構築したNECソリューションイノベータ)に委託料を支払う仕組み。これまで一般的だった行政がサービスに対して費用を払う契約ではなく「市民の健康状態の改善」という成果が期間内に達成できなければ、報酬は発生しなかったり削減されたりする。民間企業には目標達成のインセンティブが働き、行政には公金の支出対効果を最大化できるメリットがある。
 2027年度から荒尾市で本格導入される予定のPFSの仕組みには、病気の発症リスクが成果指標として盛り込まれる見込みだ。AI予測と早期介入により、将来的な医療費・介護給付費の増加をどの程度抑制できたかについて26年春以降、具体的に指標の内容を詰める。同様の健康長寿の課題を抱える全国の自治体にとって「標準モデル」となることを荒尾市は期待している。
浅田敏彦(あさだ・としひこ)
熊本県荒尾市長
1960年荒尾市生まれ。80年有明工業高等専門学校(電気工学科)を卒業。民間企業で3年間勤務した後、83年に荒尾市役所へ入庁。政策企画課長、総務部長、企業局長を経て、2016年12月退職。17年2月に市長選挙に出馬し、当選。現在3期目。「スマートシティ荒尾」を掲げ、全国初となるAI活用予約型相乗りタクシーの市内全域運行など、デジタル技術を駆使した産学官連携によるプロジェクトを推進。荒尾競馬場跡地の再開発「あらお海陽スマートタウン」で新たなまちづくりを主導、長年の市政の課題だった市民病院の累積赤字の解消と新築移転プロジェクトも実現した。
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