(71)学術と科学。この二つは同義ではない|野依良治の視点|特集・コラム|研究開発戦略センター(CRDS) – jst.go.jp


科学技術力は国の命運を左右する。だから、総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)は内閣総理大臣、科学技術政策担当大臣の指導のもとに「各省より一段高い立場から」我が国の科学技術・イノベーション(STI)に関わる重要政策、特に中期的な企画、調整を差配する。しかし、この大事な会議の名称の中に、筆者らが携わった「学術」の名はない。この司令塔は総合性を旨としていて、大学を中心とする学術の振興に特化するものではないからであろう。
だからといって、学術を軽視して欲しくはない。学術と科学は互いに深く関わるが、もともと異なる枠組みであって同義ではない。学術の府たる大学は国家の知性をかたちづくり、そのための次世代を育成する使命をもつが、近年はCSTI政策による社会経済的な要請が強く、本来なすべき自律的活動が妨げられている傾向にあると聞く。ならば、大学を所掌し学術振興政策に責任をもつ文部科学省は、上記のSTI総合政策を踏まえつつも、本来の理念に基づき大学の発展に資する建設的政策を明確に打ち出すべきである。一方で、多様な大学組織が積極連携し、また我が国を代表する学識者を擁する日本学術会議が社会的信頼感を背に、矜持をもって学術の重要性を主張し続けない限り、閉塞感を打開できるわけがない。徒に拱手傍観に終始すれば、先人たちが営々と紡いできた知性は衰退する。特に若い世代の志に期待している。
福沢諭吉は「学問のすゝめ」で、学問には個人的な独立と社会進歩への貢献の二つの目的があると説いたと聞くが、筆者はかつて「人類の栄光のために」数学をやる、とした学者がいたことを知り、深い感銘を覚えた。かの梅棹忠夫(文化人類学者、国立民族学博物館初代館長)、広中平祐、森重文(ともにフィールズ賞受賞者)らを育てた秋月康夫である。実は、筆者も京都大学入学後に教養課程で講義を聴講したものの十分理解することなく、申し訳なく思っている。
日本語の「学術」とは、文字通り「学」と「術」を合わせた営みで、このような学問とそれに関わる技法(arts)を含むものを意味しており、その本質は「自由な発想」つまり精神の解放にある。実際、日本国憲法第23条には「学問の自由は、これを保障する」とある。もとより、この「自由」は過度に恣意的な形態にあってはならず、「成果公開の原則」に基づく学術的水準と倫理的正当性の検証があって初めて保障される。だが、近年の外国諸大学における政治主導による厳しい抑圧状況を見れば、自由の永続的堅持は容易ではない。学術の中核を担う大学組織と大学人には本来の使命の遂行に相当の自覚が必要であることを銘記しておきたい。
繰り返すが、学術は科学と決して同義ではない。学術の対象は客観的合理性を旨とするソフィア(理論知)の世界に限定されず、宗教、倫理、歴史、経済などの主観的な社会的価値観がかかわるフロネシス(実践知)にも呼応する。つまり自然科学の範疇を超えて、人文学や社会科学はもとより思想、芸術などの多彩な文化的な営みをも包含するため裾野は広い。これらの研究者の集合体である学術界(アカデミア)の価値観もまた極めて多様で、相互に交差することに大きな意味がある。一方で、科学の営みは、今や学府の枠内にとどまらず、濃淡はあれ人間社会のあらゆる基盤に関わっている。
科学の営みの本質は、しばしば知的好奇心に駆動される「真理の探究」であり、その特質の一つは反証可能性にある。他のジャンルとは異なり知識の正しさは科学者個人の能力、名声、権威に帰属しない。確固たる事実に基づき再現性が最も重視されるが、観測される現象は偶然や確率に支配されることもある。かのアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と主張したが、不確定性原理(量子力学)はもはや揺るぎない。他方、冥王星は1930年の発見以来、太陽系の惑星の地位にあったが、2006年に国際天文学連合総会における一連の客観的証拠にもとづく議論の末、準惑星に格下げされた。1967年以降、1秒の単位は「セシウム133原子」の振動を基準として定義されてきたが、これとて香取秀俊博士の「光格子時計」の発明をもとに再定義されるかもしれない。最新の島津製作所製商用機による誤差は100億年に1秒程度とされる。
これらは学術的な科学の成果の例である。大学や公的研究機関に属する研究者たちが中心となり、自己修正の手続を繰り返しながら、人類の共有財産としての科学知識の創造に努めてきた。その有形無形の恩恵は計り知れない。同時に、真理は広く深く、我々はそのごく一部しか知ることができない。科学者は謙虚でなければならない。
科学は未知なるものの「発見」に向かい、技術は不可能に挑戦して「発明」を生む。本来二つは異なる概念であるが、近年、両者は一体化していて、科学が新技術を産み、先端技術は科学を進歩させ新たな境地を拓く。さらに科学知識に基づく技術開発とその社会実践は国家の経済や安全保障にも大きく影響を及ぼす。大きな社会的価値が創造(イノベーション)された結果、既成の社会構造が大きく変わることさえある。逆に将来の社会発展にとって技術やその源である科学知識の蓄積は不可欠である。
研究は多岐にわたり、その目標によって基礎、応用、開発など研究段階の違いはあろうが、大学では基礎研究、企業は応用開発などと仕分けることには意味がない。産業界や軍事セクターにおける技術開発のためにも基礎科学知識は不可欠であり、実際に自らその獲得に向けた高度に先端的な研究も行われている。一方、大学の工学、農学、医学、さらに連携分野では応用開発を目指す研究者も多い。Dual use(軍民両用)という言葉があるが、なぜに軍民の2元論なのか、真に基礎的な研究成果はより広いMultiple useさらにUniversal useでさえある。同じ知識を、誰が何の目的に使うかの違いだけである。
だから科学は一つであり「科学とその応用」という見方もある。我が国の電子顕微鏡開発研究を先導した上田良二(1911-1997)は基礎を重視したが、基礎・応用の二元論を避け、むしろ純正(pure)と応用(applied)を対比させた。国際純正・応用化学連合(IUPAC)や同物理学連合(IUPAP)などの機関名にも整合する。その上で、同氏は研究にはそれぞれ基礎的なものと末梢的なものがあるとした。湯川秀樹の理論物理学研究は「純正基礎研究」であり、トランジスターやレーザーの発明は「応用基礎研究」に基づいてなされ、自らもこれを志向したい。だが、日本には「純正末梢研究」や「応用末梢研究」が多すぎると厳しく指摘した。この卓見は1980年頃になされたが、40年を経ても状況はあまり変わっていない。なぜこうなるのだろうか。研究者を疲弊させる過剰な競争や不適切な評価制度も影響するが、まずは研究界の風土を変えねばなるまい。
保守と革新。科学と技術を活用するイノベーションは社会構造を変えるというが、そもそも目指す社会が、「より良い」にとどまらず、本当に「善い」ものなのか。その過程でいかなる不都合が起こるか。社会には人の意思が宿るからであり、いったい誰が、何故に変革を望むのか。歴史を振り返れば、ときの権力者たちの信条や政治的、経済的、軍事的動機が不自然な正のフィードバックを誘導して破綻をもたらす可能性を否定はできまい。現在の米国政権の強権的な動きには、同国の科学界に限らず世界の学術界、そして多分野にわたる学識者たちも懸念を示し、それぞれに勇気ある発信を試みている。STI関連事業の過度な「選択と集中」や商業主義への偏向を許して、果たして健全な人間性や長年にわたり培われてきた文化的価値、望ましい国柄を維持できるのか。時に変化は不可逆であり、将来世代が対処不能な不都合な結果を招くことはあってはならないはずである。
学術界(ソフィア的な科学界にとどまらない)の特質は個人的、組織的な独立性、自律性であるが、これは決して孤立性、自己中心主義を意味するものではない。むしろ逆であり、近年は個々の独創性に加えて国境を超えた連携性、また分野融合による「知の共創と再構成」が求められている。諸々の事象の繋がりの意味はしばしば明示的ではないが、相互に作用する影響を賢く洞察した上で、時には社会に対して物申す責任があるはずである。
今や学術界も気候変動、巨大自然災害、感染症の蔓延などの地球規模の問題への対応を迫られている。さらに社会的にもゲノム編集技術の生命への介入による不都合、情報通信技術によるプライバシー収奪、偽情報氾濫などの問題、急進展する人工知能(AI)の活用と規制などの検討は、喫緊の重要課題である。いかにすれば致命的な事態を回避できるか。これらは国家間で経済や軍事面の優勝劣敗を競うものではなく、人類共通の深刻な問題である。
我が国の見識ある学術界にも奮起を期待したい。短中期的な利益を求めがちなSTI政策に安易に妥協するのではなく、より長期的にフロネシス(実践知)的な価値観を十分に勘案し、ELSI(倫理的、法的、社会的課題)の観点から科学技術の進展の行方を慎重に見極めてもらいたい。先端的な科学技術は、決して傲慢な「力は正義なり」に加担する営みであってはならない。
筆者は、今や技術や社会イノベーションというよりは、倫理のイノベーションこそが求められていると考えている。現代の不都合を軽減するにはいかなる法律でも不十分で、包括的な叡智、つまり人間性や自然の摂理を尊重する普遍的価値観に基づく判断が不可欠である。公平性、多様性、包摂性(EDI)を重んじる学術界は、この転換期に率先して解決策を提言していいはずである。
2018年に国際科学会議(ICSU)と国際社会科学評議会(ISSC)が合併したのは、その象徴的な出来事である。我が国の第6期の「科学技術・イノベーション基本計画」も、科学技術に加えて人文社会科学を含むことになったが、残念ながら、産官学を問わず、この観点から積極的に発言する研究組織は極めて少ない。むしろ、あまりに急速な新技術の社会実践の中で、まずは様子見が安全と「沈黙は金」を決め込んでいる。これは意気地なしだ。技術主導による一方的な社会構造の変化を「技術決定論」(technological determinism)とよぶが、ここに不作為があっていいわけがない。ついにAI時代が到来、まだ存在しない新技術群への対応は容易でないが、さりとて不都合な技術が席巻してからでは手遅れだ。安易な経済性、効率性優先の「知性の敗北」は許されず、直ちに不確実性への強靭な対応力を培わねばなるまい。
ここに先端科学の発展動向とともに、より広く「学術的」な視点を重視すべきとのことであれば、特色ある文化背景をもつ日本の大学は世界と呼応して期待に応えるべきである。今後、我が国の学術界が世界で存在感を維持するためには自律的に分野連帯を図るべきであり、本気で学際的、国際的視野に立つ指導者の育成、確保に努めてほしい。
まず、我が国の知性を担う大学自身に、主体者として万難を排して学術を牽引する覚悟がいる。同時にこの公器が社会の負託に応えて縦横に機能すべく文部行政自身が財政基盤を保障し、国際水準の研究教育環境を整備すべきである。しかし、昨今の文部科学省の「学術政策」はSTI関連政策に追随していて、あまりに迫力を欠くと感じる。その政策は大学現場に十分受容され、若い世代に知的希望を与えるものであってほしい。
いかに、文部行政は大学と信頼関係を築くのだろうか。旧文部省は2001年に科学技術庁と統合して文部科学省となるまでは、科学技術を所掌せず、教育とともに学術政策に傾注していた。筆者は1992年に文部省の学術国際局の科学官を命じられ、以後学術政策を手伝うことになった。この役目は大学現場の立場から施策を助けることであるが、筆者はまだ専門分野の研究に集中していて、国際学界活動にも多大の時間を費やす必要があり、予期せぬ不運が降りかかったと嘆いていた。
科学官にとっては「学術審議会」に陪席して、ときに経験不足の専門家として率直な意見を具申することも大切な仕事であった。ここには、福井謙一会長(1981年ノーベル化学賞受賞者)のもと、長倉三郎、有馬朗人、伊藤正男、猪瀬博、小田稔、河合隼雄、高久史麿、西澤潤一ら、いま年配の学術関係者なら誰もが知る錚々たる自然科学、人文学、社会科学の識者が集い、井村裕夫(京都大)、奥島孝康(早稲田大)、天満美智子(津田塾大)、西川哲治(東京理科大)、吉川弘之(東京大)らの主要大学の総長、学長も委員として名を連ねていた。単に優れた研究能力だけでなく、思想性と教養豊かな「学者」たちであった。1992年に米国滞在を終えて筑波大学長についた江崎玲於奈(1973年ノーベル物理学賞受賞)の発言も印象的であった。「科学技術」ではなく「学術」に特化した会議であるため、経済産業界から選ばれた委員はごく少ないが、基礎研究重視の日立製作所を率いる三田勝茂や、米国アスペン研究所の理念を日本に導入した国際派教養人で富士ゼロックスの総帥、小林陽太郎などが加わった。当時、各専門分野の最高権威者たちの責任ある発言だから重みが違う。ときには意見が対立するが、共同体意識をもち互いに敬い合う雰囲気があった。予期せぬ展開に官僚たちに緊張感が漂ったように見えたが、互いに信頼感が保たれていた。「自分たちのこと」としての会議の推移と結論が、その後の20年間の学術の推進に役立ったことは間違いない。
第二次世界大戦後、相当数の特色ある日本人研究者が、国際舞台で活躍してきたが、欧米諸国が「科学国日本」の存在感を本当に認めたのは、ようやくこの頃である。1992年10月に米国のサイエンス誌が大々的に「日本の科学」(表紙に日本語でこのように表示)を特集し、明仁天皇の寄稿とともに我が国の代表的科学者の研究や制度を紹介した。前向きの強い勢いが感じられ、若い世代を鼓舞してくれた。ぜひ読み返してほしい。そして2023年10月、英国ネイチャー誌の“Japanese research is no longer world-class - here’s why”の記事には、あまり著しい落差を感じる。まさに「失われた30年」、学術界にとどまらず各界における統治とリーダーシップの欠如があることは間違いない。
筆者自身は1990年代に、とうてい政策議論を先導する立場にはなかったが、多分に上記の碩学たちの影響を受けてきた。特に予期せぬ、ごく短い私的な会話を通して教わったことはあまりに多い。のちに大学から科学技術の推進を担う理化学研究所に転じたが、現文部科学省が拡大継承した「科学技術・学術審議会」にも相当深く関わった。もし直近の20年間の政策が今日の学術に影を落としているならば、その不具合を共有する者の一人として見識・力量不足を猛省せざるを得ない。現在の政策策定の仕組みには時代に適応すべく多方面の識者の思いが反映されるようだが、さりとて審議会の名にある「学術」の本質を矮小化してはなるまい。「学術なき科学研究」は信を失う。責任ある審議会には世界が共感する良き国柄を持つ日本が、自らの特質を生かしてさらに発展すべく指導されることをお願いする次第である。

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