
初めて深センを訪れた人から、たまにこんな感想を聞きます。どこへ行けばいいのか分からなかった、思ったより普通の都会だった、というものです。これはよく分かる話で、深センには北京の故宮も、上海の外灘も、西安の兵馬俑もありません。
華強北へ行けば電子部品が山ほど並んでいますし、街を歩けばドローンが飛んでいることもあります。ロボタクシーに乗れば、誰も触っていないハンドルが自動で回るのを見て驚きます。ただ、それだけを見て帰ると、ドローンが飛んでいた、無人運転だった、という感想で終わってしまいます。
以前、深センを訪れた方と街を回ったときも、最初の反応は薄いものでした。ところが、なぜこの場所に企業が集まったのか、なぜこの速度で新しいサービスを社会に入れられるのか、目の前の普通に見える風景の裏でどんな技術と制度が動いているのかを説明していくと、途中から見え方が変わりました。同じ道路を歩いていても、受け取れる情報量がまったく違ってきます。
深センは、そういう都市だと思っています。背景を知らずに来れば、未来っぽいものが置いてある街です。背景を知ってから見ると、中国が40年以上かけて続けてきた社会実験の現場に見えてきます。そのため、最新のロボットを見る前に、いったん1980年代まで時間を巻き戻したほうが理解が早くなります。
深センが経済特区として出発したのは1980年です。中国が改革開放へ舵を切るなかで、香港と隣接するこの場所は、市場経済の仕組みを試す最前線になりました。
いまの深センを見ると、Tencent、DJI、BYDといった企業や、高層ビル、ハードウェアのサプライチェーンに目が行きます。ただ、この街が最初に生み出したものは製品ではありません。これまでと違うやり方を実際にやってみる、という環境のほうが先にできました。
その象徴の一つが蛇口です。1980年代初め、蛇口工業区を率いていた袁庚は、「時間就是金銭、効率就是生命」という言葉を掲げました。日本語にすれば、時間は金であり、効率は命である、という意味になります。いま読むとそれほど刺激的な表現には聞こえないかもしれませんが、当時の中国で時間と金銭を直接結びつけ、効率を価値として前面に出すことは、現在よりはるかに強い意味を持っていました。
深圳市政府が公開している記録によると、1983年に日本の三洋電機が蛇口への工場進出を検討した際、日本から来た7人の代表団は交渉に1週間ほどかかると見込んでいたそうです。ところが実際には必要な手続きが3日ほどで終わり、およそ1カ月半後には工場が操業を始めました。40年以上前の時点で、すでに深センスピードが実行されていたことになります。
1984年に鄧小平が蛇口を訪れた際、この考え方を肯定したとされています。同じ年の建国35周年の国慶節パレードでこの言葉が掲げられ、全国に知られるようになりました。
つまり深センの速さは、スマートフォンやインターネットの登場で突然生まれたものではありません。改革開放の初期から、他の地域がまだやっていないならここで先にやってみる、という考え方が都市の性格として埋め込まれてきました。
私自身、この街の価値観を最初から理解していたわけではありません。深センへ引っ越すことを決めた頃、大学時代の中国人の先輩から「来了就是深圳人」、来たらもう深セン人だ、と言われたことがあります。正直なところ、当時は意味がよく分かりませんでした。
中国では北京人、上海人、広東人といった地域への帰属意識がかなり強いものです。それなのに、引っ越しただけでどうして自分が深セン人になるのだろうと思っていました。
住んでいるうちに、その意味が少しずつ分かってきました。深センは中国各地から人が集まって大きくなった都市です。北京のように何百年も続く首都文化があるわけでも、広州のように長い商業都市としての地域文化がそのまま残っているわけでもありません。だからこそ、どこから来た人なのかより、ここへ来て何をするのかが重視されます。
後から知ったのですが、「来了就是深圳人」は2010年に選ばれた深圳十大観念の一つでした。その10項目には、「時間就是金銭、効率就是生命」のほか、「敢為天下先」(天下に先駆けてやる)、「改革創新是深圳的根、深圳的魂」(改革とイノベーションは深センの根であり魂である)、「鼓励創新、寛容失敗」(イノベーションを奨励し、失敗に寛容である)などが並んでいます。
一つずつ標語として読むと少し堅く感じますが、住んでみると全部つながっています。早くやること、人より先にやること、新しいことを試すこと、失敗してもまたやること。そして、どこから来た人であっても、その競争に参加するなら受け入れること。これが深センの基本的な態度です。
深センに住んでいると、この街は失敗そのものより、挑戦しないことのほうを嫌うのではないかと感じることがあります。もちろん、何を失敗しても許されるという意味ではありません。深センの市場競争はむしろかなり厳しく、売れなければ商品はすぐ消えますし、新しい市場ができれば一瞬で大量の競合が入ってきます。
それでも、新しいことをやって失敗した人に対して、なぜそんなことをやったのかと責めるより、では次はどうするかへ進む感覚が比較的強いと感じます。これは印象論だけの話ではありません。2006年、深圳市委・市政府はイノベーション型都市を目指す政策文書のなかで、「敢于冒険、勇于創新、寛容失敗、追求成功」という方向性を明記しています。リスクを恐れず、革新し、失敗を許容し、それでも成功を追求する、という並びです。
失敗に寛容という言葉の後に、成功を追求するという言葉がきちんと付いている点が深センらしいところだと思います。優しいから失敗を許すのではなく、成功するには試行錯誤が必要だから、その途中で生じる合理的な失敗を受け入れる、という順序になっています。
実際、2025年にはこの考え方がさらに制度化され、深圳市科技創新局が、職務を適切に果たしたうえで生じた研究開発上の失敗を一定の条件で免責する仕組みまで作りました。40年前には思想だったものが、いまは制度として書かれています。ここまで見ると、深センにテクノロジー企業が多い理由を、工場が近いからという説明だけで済ませるのは不十分だと分かります。
もう一つ、中国の知人から聞いて記憶に残っている冗談があります。深セン人は少しくらいスピード違反してでも早く目的地へ着こうとする、車をきれいに駐車している時間がもったいないから斜めに止めて取引先へ走っていく、というものです。もちろん深セン人全員が交通違反をするという話ではありませんし、そんな運転を勧めるつもりもありません。ただ、罰金として支払う金額より、その時間で得られる利益のほうが大きいなら、罰金を払ってでも先へ行く、という合理性をうまく風刺していると思います。
長く暮らしていると、この感覚はなんとなく分かります。完璧に準備してから進むのではなく、進みながら直します。間違いが起きる可能性をゼロにすることより、機会を逃すコストのほうを恐れます。この点は日本とかなり違います。
道路交通までこの調子でやられると困るので、深センにいると自動運転が早く普及してほしいと本気で思います。人間が「時間就是金銭」を実践しすぎると、乗っている側は落ち着きません。ただ、ビジネスの領域では、この考え方が強い推進力になっています。
ここまで読んでいただくと、深セン観光の見え方が少し変わると思います。
たとえば街で配送ロボットを見つけたとします。背景を知らなければ、中国ではロボットが道路を走っている、未来だ、という感想で終わります。背景を知っていると、出てくる質問が変わります。なぜこのロボットを公道に出せるのか。行政はどんなルールを作ったのか。事故が起きたら誰が責任を取るのか。どの企業が運用していて、人件費と比べて本当に安いのか。実証実験なのか、すでに商用運用なのか。他の都市にも展開できるのか。
ロボタクシーも同じです。後部座席でハンドルが勝手に動くのを見て驚くだけでは、ほとんど何も持ち帰れません。見るべきなのはその裏側です。どこまで無人化されているのか。誰が遠隔で監視しているのか。なぜこの地域で走れるのか。料金はいくらで、採算は取れているのか。既存のタクシー会社とどう共存しているのか。都市が道路、通信、地図、規制をどう整えたのか。
深センがスマートシティと呼ばれる理由も、巨大なLEDディスプレイが並んでいるからではありません。決済、交通、物流、行政、小売、製造、通信が技術でつながっていて、しかも新しい仕組みを社会へ入れて試すことへの心理的・制度的なハードルが比較的低いからです。だから深センは、知識なしで見ると意外に普通の街に見え、知識を持って見ると街全体が教材になります。
企業視察を案内するとき、ドローンやロボタクシーを見てもらうこと自体をゴールにはしたくないと考えています。それだけならテーマパークと大きく変わらないからです。未来っぽいものを見て、写真を撮って、日本へ帰り、翌日には会社へ出社して日常に戻ります。感覚としては、ディズニーランドから帰るJRに乗っているときに近いかもしれません。さっきまで夢の世界にいたのに、一駅ずつ現実へ戻っていきます。
深センまで来て、それでは少しもったいないと思います。せっかく未来の一部を先に見られるのなら、そのなかから、これは日本でも使える、これは自社でも実験できる、このビジネスモデルは持ち帰れる、というものを抜き出したほうがいいはずです。
もっと乱暴に言えば、深センへ来たらビジネスアイデアを一つくらい持ち帰ったほうがいいと思っています。もちろん製品や知的財産をコピーするという意味ではありません。なぜこのサービスが成立しているのか、この仕組みを自分たちの業界へ持ち込んだらどうなるのか、という構造のほうを持ち帰るという意味です。
日本には日本の規制、商習慣、顧客、品質基準があり、深センの答えをそのままコピーしても動かないことのほうが多いはずです。だから必要なのは、深センの答えではなく、深センがどうやって答えを作っているのかを持ち帰ることになります。
中国は速い、日本は遅い、という比較は簡単ですが、そこだけを並べてもあまり意味がありません。日本企業には日本企業の強さがあります。安全性、品質管理、改善、長期間壊れない製品を作る能力は、深センの企業が簡単に真似できるものではありません。
ただし、新しい事業を作るときまで、完成品を作るときと同じ思想で動くと問題が起きます。正解の分からない市場で、絶対に失敗しない計画を作ろうとすると、会議と承認だけが増えていきます。深センから学べるのは、雑にやれということではありません。失敗してはいけないところは徹底的に守り、失敗しても戻せるところでは早く試すという、その境界線のはっきりした引き方です。
深センの競争力は、失敗が少ないことではないと思っています。失敗してから次の挑戦へ移るまでの時間が短いことです。試作品がだめなら次を作り、市場が違えば変え、顧客が要らないと言えば方向を変えます。この回転を支えているのが、製造業のサプライチェーンであり、人材であり、資本であり、制度であり、そして「敢為天下先」「鼓励創新、寛容失敗」という都市の価値観です。
引っ越す前に聞いた「来了就是深圳人」という言葉を、いまはこう理解しています。この街は、過去よりもこれから何をするかを見ます。どこから来たのかより、ここで何をやるのか。失敗したかどうかより、そのあと何をやるのか。だから全国から人が集まり、企業が生まれ、新しいサービスが試されてきました。
深センを見るときに一番大切なのは、有名観光地のリストではなく、なぜという問いを持って来ることだと思います。なぜこのサービスはすでに社会に入っているのか。なぜこの会社はこの速度で製品を出せるのか。なぜこの街では新しいものを試しやすいのか。なぜ日本ではまだ難しいのか。そして、自分たちなら何を持ち帰れるのか。
そこまで考えて初めて、ドローンもロボタクシーも華強北も、未来都市のアトラクションではなくなります。深センには、目に見えるテクノロジーより、目に見えない仕組みのほうが多くあります。私が深センの情報を発信したり、日本企業の方を現地へ案内したりするなかで伝えたいのも、そこです。
未来を見に来るだけなら、一度で十分です。しかし、その未来がなぜここでは現在になっているのかまで分かると、深センは何度来ても違うものが見える街になります。
「来了就是深圳人」。来たら深セン人。私はこの言葉に、いまは一つ付け加えて読みたいと思っています。来たからには、何か一つ試して帰る。それくらいが、この街にはちょうどいいのだと思います。
筆者プロフィール
吉川真人。株式会社ロボットワークス代表。中国・深圳と日本を拠点に、フィジカルAI、AIハードウェア、スマート製造を中心としたリサーチおよび事業支援を行っています。日本企業を対象に、中国企業・市場の調査、現地視察、商談アレンジ、製品開発、工場・パートナー開拓、中国企業の日本市場参入支援などを手掛けています。
TBS「THE TIME,」海外特派員として中国の現地情報を発信した経験を持ち、現在はGMO AIR顧問、NAGALAB社外取締役を務めています。中国の技術・産業動向を、現地の一次情報と事業の視点から継続的に発信しています。
株式会社ロボットワークスWebサイト
https://www.robot-works.jp/
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